福岡東支部 昇段レポート 古賀 康平
この度は、昇段審査を受けさせていただき誠にありがとうございました。
自分が空手を始めたのは、4歳の頃でした。
入門した頃は、練習の時泣きながらしたくないと言っていたのをよく覚えています。
そんな時に、やさしい先輩や三村師範から練習しないと強くなれないぞという言葉をよく言われました。
そして、すこし月日も経ち大分支部との合同合宿などに参加して、目の前で先輩方の昇段審査を見て何時か自分も黒帯になりたいと思い必死に練習しました。
それでも大会では中々思った結果を残せなくて悔しい思いをしました。
その時の自分には、特に武器と言える技がなく悩んでいました、三村師範に下段廻し蹴りが良いと言われて沢山練習して自分の下段廻し蹴りに自信を持てるようになりました。
そして、中学三年生、高校一年生の時に全九州大会で優勝することができ今年は、西日本大会にも出場しました。
西日本大会当日は、久しぶりの大会と昨年の優勝者と対戦することもあり非常に緊張しました。
結果は、一回戦負けでした。
悔しさと練習に付き合って頂いた先輩や三村師範に申し訳ない気持ちで一杯でした。
昇段審査は、西日本大会から二週間後という短い期間で不安が多くとても緊張しました。
怪我や緊張で自分の納得のいくパフォーマンスが出来なくて少し悔しかったです。
自分がここまで空手を続ける事が出来たのは、三村師範や諸先輩方、家族の支えのおかげだと思っています。
空手を通して礼儀、人への関わり方などを学ぶ事が出来ました。
また、日々の感謝を忘れず練習に励んでいきます、そして黒帯という帯の色に恥じない様に日々努めていきたいと思います。
押忍!
昇段レポート 空手と私 松元 賢一郎
初めに、この度、昇段審査受審も機会を与えて頂いた三村 政史師範また道場生の皆様にこの場をお借りしてお礼申し上げます。
私が、初めて極真空手に入門してから、かれこれ三十数年の歳月が経ちました。
私は、高校卒業時茶帯をいただいていましたがその後、就職したのを機に一度空手を辞めてしまっていました。
それから日々の生活に追われ二十数年が経ち、空手に対しての情熱を忘れてしまっていた時、長男が空手を始めたいと言い出しました。
そして、息子が自分で選んだのが極真会館でした。
息子が自分で探してきた道場が極真会館、驚きと同時に懐かしさと嬉しい思いが込み上げました。
息子が通い出した当初は、自分は引退した身、息子のサポートに徹するつもりでしたが、気づけば再入門し白帯を締めて息子と共に汗を流す日々を送っていました。
まさか、この年で初心に戻って稽古が出来るなんて夢にも思っていませんでした。
道場の仲間や先輩方にも恵まれ、稽古をするごとに心身のサビが吹き飛んでいくようでした。
その後、下の息子も入門し、大会にも参加させて頂くようにまり、息子達と共に自分自身ももっと高みを目指したいと思うようになりました。
気が付けば五十歳の声が間近に迫ったある大会で、若い頃の思いと、父として息子達に自ら範をしめしたいという思いもあり、三村師師範に無理なお願いをして一般の部での大会へ出場させて頂きました。
もちろん、映画や漫画のような奇跡はおこりませんでしたが、今のありのままを受け入れ前進するという事、失敗や負けを恐れず、勇気をもって前に進むという事、この大切さを学ぶ事が出来ました。
そして、同時に若い時に諦めた『黒帯を締める』という夢に向かっていく決心が出来ました。
三十数年もかかってしまいましたが、自分を信じて今できる事をコツコツと積み重ねることの大切さを学ぶと共に、夢を実現出来たことは、私の誇りとなりました。
これからは、空手を通じて学んだ事を忘れず、皆様と共にさらなる高みを目指し、まだ見ぬ自分自身へと成長していきたいと思います。
押忍!