一般部編 |
極真空手と私 古門 秀章(50代) 私が極真空手と出合ったのは今から37年ほど前、大学時代に遡ります。 ちょうど「第1回オープントーナメント全世界空手道選手権大会」が開催されたころでしょうか。 高校の頃、「燃えよドラゴン」に代表されるブルース・リー主演のカンフー映画で、国内では既に空手旋風が起きていました。しかし空手ブームを不動なものにしたのは極真空手の記録映画「地上最強のカラテ」ではないでしょうか。 私もこの作品を観て度肝を抜かれました。その人間離れの技を繰り出す武道集団こそ今日まで憧れ続けた大山総裁率いる極真会館だったのです。 いつかは始めたいとの思いも空しく、平成6年に心臓病を患い、極真空手への夢は完全に断たれてしまいました。 しだいに思いは二人の息子に向けられました。彼らが小学校に上がるのを待つかのように極真ルールと同じフルコンタクト空手の道場に通わせました。 空手の夢を託した息子達でしたが、中学進学とともに相次いで止めてしまいました。残念ですが本人が望むことをさせてやるのが一番です。かといって空手を忘れる気など更々ありません。サンドバックを叩いたり、大山総裁の書籍や極真の関係書物を読みあさり、大山道場時代に遡るまでの歴史を知ることができました。 疾患持ちの私が、それも52歳から極真空手を始めるなど考えてもみませんでした。 転機は平成21年10月に訪れます。 生来すべてに奥手な私はその気質に甘んじ、仕事面でも前に出ることを極力避けてきましたが、いつまでもそれで良いはずがなく、何らかの意識改革に迫られていました。 数日の休暇をとって禅寺修行はどうだろうと真剣に考えていた矢先、ふと極真空手と大山総裁の名言を思い出したのです。そう極真空手なら技だけでなく心も鍛えられるはず。 「正義なき力は無能なり。力なき正義も無能なり」・・・正義のない力は暴力にすぎない。かといって正義を守り抜く力がなければ意味がない。 ここでいう力は何も武力だけを指すのではなく、広い意味での力や勇気と私なりに解釈しています。 この正義を守り抜く力や勇気を身に付けたいと思った私は10月25日(日曜)の昼下がり、ホームページで調べた富野の本部に電話を入れスパーリングを見学させていただきました。 道場には神棚と憧れの大山総裁や松井館長の写真が額に飾られていました。熱のこもったスパーリングは素早くそして力強く、私には無理なのでは?と不安がよぎります。 翌26日(月曜)定時に仕事を切り上げ本部に向かいました。正座で見学していると指導員の方から「体験してみませんか」とのお誘い。体験入学の用意は無くネクタイをとり、スーツのズボンで皆と一緒に汗を流し、きつくとも楽しい体験をさせていただき是非入門したいと思いました。 指導員の方に体の事情を話したところ、師範にも伝えて下さるとのこと。それぞれに見合った稽古ができるとは聞いていたものの、三村師範に快諾していただき10月29日(木)正式に入門、空手着に着替え早速稽古に参加させていただきました。 体験入学での筋肉痛が残る中、稽古はなかなか厳しい内容ですがついていけないほどではありません。それと気合いで大きな声を出すことが、いかに気持ちの良いものかを改めて知りました。 家に戻ってからも、汗で重くなった空手着を再び身にまとい、胸に誇らしげな極真会の刺繍を見ては鏡の前でニヤニヤニタニタ。とても嬉しかったことを思い出します。 厳しい稽古ではありますが、それ以上に気持ちの良い汗と先輩方や同志の皆さんとの交流も楽しく、次の稽古日が待ち遠しくてなりません。 これからも極真会館の門下生であることを誇りとし、生涯の目標でもある、確固不抜の心技を極められるよう、地道に修行を重ねたいと思います。 押忍 |